SSブログ

仏教書について 20180408 [仏教]



今日は、釈迦牟尼(しゃかむに)生誕日である。灌仏会(かんぶつえ)が行われているところが多いだろう。


 今日は、県立大学の入学式だったそうだ。
 勉学成道されんことを祈る。
 管理栄養士や保育士や経営士を養成するのだろうと思う。
 経営士の方は、初めてなので、よく分からないが、4年生だから、Master of Business Administration(経営管理学修士)の前段までのことを学ぶのだろうと思う。
 MBAについて、ブリタニカ国際大百科事典では、「アメリカでは特にハーバード大学やマサチューセッツ工科大学MITなどの有名校のMBAの保持者は、最初から管理職として採用されエリートの道を歩むことが多い。しかし、近年は生産現場を知らず財務上の数字あわせを重視する彼らの姿勢が、アメリカ産業の空洞化と競争力の低下を招いたとの批判もある。」とされている。
 4年の学びの他、ビジネススクールで修士課程をしても、このような批判を受けてしまうこともあるので、大学等で学んだことだけでは足りないことを、あらかじめ十分意識して、新聞をよく読み、NHKをよく見、広く学んでほしいと思う。
 長野は、書店で手に入る書籍等の種類が、東京等大都市に比べて雲泥の差ほどの少なさなので、広くインターネットで探したり、一つの分野を徹底的に深く掘り下げてみる等、自ら本を探すことをしてほしい。
 東京へ行ったら、八重洲(やえす)ブックセンターとか、三省堂とか大盛堂とか書泉グランデとか丸善とか国立国会図書館とか政府刊行物センターや神田の古本屋街に足を運んでみてもらいたい。
 国立国会図書館のホームページで検索して探すのも良いかもしれない。
 今は、いろいろな図書館の蔵書がインターネットで共通して検索できるので、そちらも試してみてほしい。
 インターネットで、アメリカの大学の講座もオープンにしているものがあるので、英語に自信ができたら、直接そのページに飛んでみるのも良いかもしれない。
 県立大学の図書館と県立図書館の蔵書の充実を望む。


 今日は、NHKEテレの「こころの時代」という番組で、武蔵野大学名誉教授の浄土真宗僧侶のケネス田中氏の話を見た。
 そこでは、英語で仏教を教える活動を紹介していた。だじゃれをふんだんに入れてユーモアたっぷりに話していた。
 諸行無常、苦、涅槃(ねはん)寂静、執着、自利利他等の仏教基本用語を英語で解説していた。
 英語にしたものは、なるほど分かり易(やす)いと思う一方、もっと他の意味もあるのだが、それらの意味全てを含む翻訳になっていないと感じられた。
 しかし、わかりやすさの点では、抜群のものがあったと思う。

 田中氏のまとめは、慈悲、平等、一体感だそうだ。
 慈悲、平等は、原始仏教書以来の伝統的な重要概念であるから、ほぼ分かる。
 しかし、一体感は、何を指すのだろうか。ちょっと分からなかった。
 入我我入とか、同行二人とか、仏は内にあるということを一体感というのだろうか。
 迷いの世界と悟りの世界は一体だというのだろうか。
 あの世とこの世は一体だというのだろうか。
 二而不二(ににふに)ということなのだろうか。


 私は、今のところ、仏教は、貴方(あなた)と私の関係についての良い教えと捉えている。
 仏の字が、イ=人、貴方(あなた)と、ム=私が、結びついて、共存共栄した状態で、世界が一つとなる、ための教えと捉えている。
 ただ、時には、犀の角の如く一人歩め、自らを灯明とせよ、法を灯明とせよを行う。


 毎日30分読書せよを日課として、1ページか2ページを毎日読もうと、漢和辞典と首っ引きで読んでいるのだが、なかなか続かず、三日坊主の繰り返しだった。
 それでも、スッタニパータ、法句経、般若心経(はんにゃしんぎょう)、大日経、金剛(こんごう)頂経、理趣経(りしゅきょう)と進んで、長阿含(ちょうあごん)経に手をつけた。
 長阿含経は、原始仏教だと位置づけられている。
 まだ54ページ目にしか行っていないが、結構面白い。
 第一の大本経の部分では、過去七仏、誕生場面、如来の32相、四門出遊、成道、四諦(したい)、十二因縁、梵天(ぼんてん)勧請(かんじょう)、初転法輪等が物語られる。
 面白いのは、過去七仏の出身が全て王族士族かバラモンかであること、全て妻と子がいること。
 なぜこのような設定にしたのか、不思議だ。説得力というか、受け入れやすさを持たせようとしたのだろうか。

 自利利他も触れている。
 三密も触れている。
 まるで真言宗のようだ。
 こうしてみると、真言宗は、原始仏教も含めあらゆる宗教思想の良いところを取り込んでいると感じてしまう。
 もっとも、伝統的でありながら、最も普遍的であり、最も現代的でもあるような気がする。
 おそらく他の日本仏教の宗派も、似たり寄ったりの学びをし(八宗兼学の伝統)、その上で、自宗の特徴的な部分を強調しているような気がする。
 いずれにしても、安心して充実した生活ができ不安なく死を迎えられれば、宗教の役割を果たしているといえるのではないかと思う。

 まだ、全部読んでいないのに推薦してしまうのは誤りかもしれないが、一度は、読んでみるべき本だと、感じているので、紹介する。
 新国訳大蔵経 長阿含経 Ⅰ 阿含部1 大蔵出版である。


 他にも、既に読んだものの中から、いくつか、推薦します。
 原始仏典 中村 元 編 筑摩(ちくま)書房
 大乗仏典 中村 元 編 筑摩(ちくま)書房

大乗仏典は、維摩経(ゆいまきょう)、法華経(ほけきょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)、華厳経(けごんきょう)、阿弥陀(あみだ)経、大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)、般若(はんにゃ)波羅蜜多心経(はらみったしんぎょう)、八千頌(じゅ)よりなる般若(はんにゃ)波羅蜜経、中論の頌(じゅ)、大乗起信論(だいじょうきしんろん)、理趣経(りしゅきょう)、ダラニ集が搭載されている。
 多く読誦(どくじゅ、どくしょう)経典とされているものの現代語訳のみである。
 理趣経には、一字真言が重要な位置づけのように感じられるが、高野山派のCDで、実際の読誦では、省略しているので、不思議な感じがした。


 宗教については、聖書とか経典というものが多くあるし、解説書も多くあるが、全て正しいと思って見てはいけない、注意が必要だと思う。
 経文を唱(とな)えれば、人を殺しても、救済されるなどと言うことをまともに受け止めてはならない。
 そんなことをしたらオーム真理教のようになる。
 自分の犯罪を宗教でごまかしてはならない
 宗教に頼る人の中には、少し特別な理解や発言や行動をする人がいることが多いということ。
 宗派の派閥に凝り固まる人がいること。
 全員が、正しい理解をしているわけではないこと。
 おかしなことを言ったり書いたりする人がいること。
 少しでもおかしいだろうと思ったら、しばらく放っておいて、他にもいろいろな本等を読んで、その問題の部分の誤りなり位置づけが分かったら、その部分の位置づけをしておくことが必要だと思う。
 自分の生活において、また、立場を入れ替えてみても、役に立つと思う部分を身につけて実践すればいいと思う。
 自分の心身、生活、他人の心身、生活にとって良いことを読み取る態度で臨みたい。

 
nice!(1) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。